本の出店

 「昭和二十年夏、女たちの戦争」 
                梯久美子著

 昭和二〇年を迎えた五人の女性が登場する。冒頭に登場する作家近藤富江は、NHKアナウンサーとして玉音放送を終え、日本橋の叔母の家に帰ると、窓を覆っていた遮蔽幕をすべてはずして、浴衣に半幅帯を締めて涼んでいた。その姿を見て、はじめて泣けたという。誰もが、もんぺをはいて我慢していた時代。それを作者は「すべて美しいもの、すべらかでやわらかいもの、優しげな姿を遠ざけたものが戦争だったと、あらためて思った」と書いている。おしゃれだけではない、恋愛も遠ざけられていた。近藤や友人がよく口荒んだという岡本かの子の歌
 山にきて二〇日経ぬれどあたたかくわれをば 抱く一樹だになし 
 戦没学徒生同様に、幸せな青春ではなかった。
 次に登場するのは、家事評論家の吉沢京子。戦病死した医学生の彼を悲しむのではなく、自分の人生のなかに彼を生かした生き方は胸を打つ。「ただ、彼がしたかったであろうことを少しでも引き継ぎたいという気持ちがあったんですね。彼は医学を学んで、やっと医師になったばかりのときでしたから、きっと心残りがあっただろうとおもって。それで、栄養学を勉強しようと思ったんです。彼は外科だから治療医学だけれども、予防医学の、栄養の、栄養のことなら私にもできるかもしれない、って。」戦中であっても、義弟の同僚たちとタンゴを踊ったりして、決して明るさは失わなかった。
明日の死は覚悟しても今日は明るく生きよう。自分の周囲をいつも明るくあらせるために。」(昭和二〇年四月三〇日の日記より)
 三番目に登場するのは「渡る世間は鬼ばかり」などで有名な女優の赤城春恵。
結婚するのが嫌で女優になった赤城は満州で昭和二十年を迎える。戦中に食べたこともなかったケーキを食べられると喜んでいたのはつかの間だった。進駐してくるソ連兵から劇団の女性たちを守るために、彼女は中国人の娘に変装して買い物に行ったり、おばあさんのメークをしてソ連兵を誤魔化した。また現金収入を得るためにダンサーにもなった。初恋の人をハルビンで失いながらも、必ず生きて日本に帰るの一念で、兄嫁と次兄を連れて日本に引き揚げてきた。
 五番目に登場するのは評論家の吉武輝子。
女の戦争は、男の戦争が終わった後ではじまるのよ」という友人の言葉が、今も忘れられないという吉武。戦後、一斉に教科書に墨塗りが支持される中で、吉武の恩師は、ごめなんなさい、すみませんと言いながら墨塗りを指示したという。そして、ほどなくして恩師は学校を去る。「吉武さん、批判のない真面目さは、悪をなします。そのことをわすれないでね。」の言葉を残して。
 女性に初めて参政権を認められた選挙の翌日、当時十四歳の吉武は青山墓地で米兵にレイプされる。その後二回も自殺を図る吉武に、初老のお巡りさんが、「お譲ちゃん、何があったか知らないけれど、人間というのは、何があっても、そこからどう生きるかで決まるんじゃないかな」
それから、彼女は立ち直っていく。

 

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青なんかがみえたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
  「わたしが一番きれいだったとき」    茨木のり子作

                              K.D

教会報「つながり152号」より