「仕合わせな牧師として」
          
 私達二人が日本基督教団隠退牧師となって3年となりました。隠退した牧師にとって奉仕した教会が生き生きと活動している事は最上の仕合わせだと聞きますがまさに実感です。
 在任した深川(15年)千葉(22年)南房(9年)と三つの教会から送って下さる週報・月報・機関誌等を拝見、「私達は仕合わせな牧師だなー」と語り合っています。
 特に神学校卒業後すぐに就任した深川教会での思い出は強烈です。私はここで生身の伝道者教育を受けたと思っています。数ある思いでの中から二つ記します。
その一 説教する事の重さ 
 山谷の通称ドヤ街から来てよく礼拝に出席していたMさん。いつも酒気を帯びていても真剣に説教を聞き「そこのところがわからねえ、しっかり頼むぜ!」と説教者を叱責したり、自分の生き方が問われると「痛いことを言うなー」と前の人の後にかくれるのでした。
又、高校生時代に求道・受洗し家業を継いだKさん。毎週、朝・夕の礼拝説教のメモをもって、説教者に率直に質問をぶっつけ牧師の本音を問いました。退任まで続くこの真剣な問いで、私達は厳しく訓練されました。
 礼拝説教は常に語る者も聞く者も神によって本音を問われる真剣勝負だと思います。
その二 本音こそ仲間のしるし 
 私達の結婚式の折、伝道所代表として祝辞をのべて下さった今は亡きKさん、「二年前心細い女の牧師が来てくれたと思ったら、もっと心細い男の先生が来た」この言葉に一瞬驚きながらも、本当にその通りと納得しました。あるふりも無いふりもせずあるがままを互いに受容しながら、本音で語り合い、共に主に従って行こう、この本音で語る深川の群に仕えられる仕合わせを二人で感謝しました。
 かつては材木置き場や埋立地だった教会近辺もすっかり様変わりした由ですが、説教題を記した立て看板が毎週変わらず立てられている事を聞き、はるかにエールを送ります。
                                        高倉 謙次