あかし

                        2011.11.02

 先週水曜日の聖書研究会で、52回続いたヨハネ黙示録が終了しました。1年半以上続いたこの期間、教会内でもいろいろなできごとがあったけれど、なんといっても3.11の地震と原発事故以来、世の中の関心事、価値観ががらっと変わってしまった気がします。
 岩手にあるわたしの実家は、内陸部だったため、幸い大きな被害を免れました。3月以降3回、岩手に帰りましたが、駅や町のどこにも「がんばろう!日本」などという張り紙は見あたりません。そんなことを言わなくても、当事者たちは必死にがんばっているのだということが伝わってきます。
   千葉県柏市に住んでいる私の友人がいます。3人も小さい子供を持つ娘夫婦が、放射能から幼子らを守ろうと、夏に、本気で久米島を訪れ、移住体験しました。結局、岡山県に母子だけ先に移り住んで、父親は東京で、何年後かの転職を考えているそうです。
 でも私の息子夫婦のように、幼子がいても、仕事が変えられずここに留まるしかない人がほとんどだと思います。この若い親たちの不安を思うと、原発の罪深さを改めて思います。
 始めは難解で、はるか遠くのできごとを学ぶという感じだった黙示録も、終わって今思うことは、1世紀の終わり頃、ローマ帝国の迫害のさ中にあった、この黙示録を読む教会の人々の信仰です。
 今、日本で起こっているようなさまざまな不幸で残酷なできごとが次々に起こるなかで、ひたすら神の国を待ち望んでいる人々の熱い信仰が伝わってきました。
 震災のテレビを見ながら「神さま、どうして?」と問いかけたいことがたくさんあるけれど、キリスト者であるわたしたちは、考えても考えても納得できないことは、神さまにゆだね、信じて祈り、待つ時なのだと思います。
 家族や友人とのつながりがバラバラになっていくこのとき、心だけはバラバラにならないように…
「隠されている事柄は、われらの神、主のもとにある」のですから。

             (申命記29章28節)                                  (ある日の週報から Hi. I)