教会報「つながり」(155号)より

                            2012.1.18

本の出店
       
  『 遍路みち 』                            津村 節子著

 「ある」と「いる」の違いを説教で聞いて、この作品を思った。
 作者は故吉村昭夫人。自らも作家を生業として夫の看病にあたるも、十分な看護をできなかったという思いが、作品ににじみ出ている。
絶対に病状は伏せるように言われていた育子は、そのために自らの仕事を断れない、通常と変わらぬ仕事をしつつ病院に通う毎日。だから、病室を抜けることもある。そのことを夫は知っていたのだ。「目を覚ますと、いない」
 この日記が三日間つづいたという。もちろん、育子は夕食が終わって、夫が眠るのを確認して帰ったのだが、妻がいなかったことにかわりはない。なぜベッドを二台入れて、一緒に泊まらなかったのか?夫を自宅で介護するようになってからも、育子は締め切りに追われて、十分な介護ができないまま、夫を見送る。
 夫の一年間は書斎に遺骨を置いてくれという遺で、遺骨と共に仕事をする育子。その育子のもとに、これまで夢に出ることがなかった夫が現れる。育子や娘、そして孫の前にも。遺骨を全て納骨するのに、ためらいを感じて遺骨を自ら焼いた茶碗に移そうとする育子。そのとき、骨が少しこぼれて、人差し指に唾液を付けて、骨に押し当てて無意識に口に入れた育子。勿体ないという主婦感覚が、妻は「ある」のではなく、「いる」ということを表している。

 『エデン』                     近藤 史恵著

 八月の聖書研究会で「エデンの園」をとりあげた。その学びの中で思い浮かべたのが、この作品。
 毎年七月に二三日間の日程で行われるツールド・フランスという自転車レース。距離にして三三〇〇km、高低差二〇〇〇m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。
 ツールド・フランスはフランスを舞台に行われるにもかかわらず、地元フランスチームは優勝から四〇年以上遠ざかっていた。しかし、今回のレースではクレディ・ブルターニュの新人ニコラが優勝を狙っていた。
 ニコラにまつわるドーピングの噂。日本人として唯一人の参加選手のチカにも、歴史に名を残すためにと薬物の売人が囁きかけてくる。果たして、ニコラは、禁断の果実を手に入れたのか?
 無謀とも言える山岳コースで勝負にでるニコラ。この過酷な楽園に出場するために友達に勝利を譲り、その彼から中古の競技用自転車を譲ってもらいながらプロにたどり着いた経緯がニコラにはあった。そして、その友達は真実を知り薬物に依存していく。一人の選手を破滅に追いやった事実、これは神の与えた試練だろうか?ツールド・フランスという過酷な楽園に再びニコラはもどってくるのだろうか。                                (KD)