ある日の週報から

                            2012.3.14

 三月の地震の時、自宅の二階で緊急地震速報を聞いて、冗談のつもりで家の柱につかまっていました。しばらくして想像していたよりも大きな揺れがはじまり、電線が揺れだすのを見て驚きました。
震源が300キロ以上はなれた宮城沖という情報だったので、これほど揺れるとは思いませんでした。時間が経っても強い揺れは収まる気配はありません。揺れは波のように繰り返し、築35年の我が家は音をたててきしみはじめます。きしむ音が、だんだん割りばしを折るような音に変わり、もうだめ、家がつぶれる。と思った私は、逃げろ逃げろ、と二回叫びながら二階からかけ降りました。この時も相当な揺れてしたから、一四段ある階段を降りる間にも何度か壁にぶつけられました。
 靴ははかずに急いで外に出ると、近くの5階建てのアパートが豆腐を揺らすようにゆらゆら揺れ、壁にひびが走るのが60m離れた場所からもはっきり見えました。幸いにも倒れることはありませんでした。
 三陸に津波の第一波が襲来したころ、母が保育園にアルバイトに行ったので、一人で外を歩いていたら、隣家の方が、一人だと不安だろうからうちに来たら?と招きいれてくれました。あまりに揺れが続くので、隣家のお母さんと息子さんと僕でビールを飲んで、ようやく少し落ち着きましたが、まだ揺れてる、また揺れた、と話しあってました。父とは連絡が取れませんでしたが、僕が物心つく前から地震を警戒してきた人なので、たぶん生きているだろうとは思いました。
 これがあの日、自分が経験したことです。
この日さらに恐ろしい体験をされた方、この日から始まった原発の大事故に巻き込まれた方、そういった方々がうけた被害は自分は受けませんでした。ただ、あの大揺れのことを考えると、ほんの少しの違いしかなかったのではないかと思います。地震の揺れが、神戸のように家を倒すような揺れだったら、火災がもっと拡大したら・・・たまたまそうなったというほかないのだろうとおもいます。そのたまたまの現在の状況を、どう受け止めるか、これは〈とりあえず今回は〉日常へ戻っていくことができる立場にある者にとっては、お金をいくら寄付する、ということと同じくらい大事なことじゃないかと思います。自分としては、自分もこんなに被災したんだ、と自分のことだけ考えるのでは無くて、もっとひどい境遇にある人のために何ができるか、考えるきっかけにしたいと考えています。
  また、たまたまで生かされている自分は、何ができるのだろうか?いつも考えます。時間的にも金銭的にも私の持つものには限りがあります。それに、比較的地震について考えることが多かったほうだと思いますが、実際に地震が起こってみると、自分は真剣に地震のことを考えていただろうか、と考えてしまいます。いっぽうで地震の放出したエネルギーはあまりにも巨大です。また環境に出てしまった放射能も膨大です。いくら目をつぶってもこの前提は変えようがありません。
  限りのある自分、そして楽観を許さない現実ですけど。とにかくかかわること、自分の中で受け止めること、長く関わり続けることも、同じ位大事だと思います。肩をいからせて「被災地の人たちを救う」のは難しくても、もっとゆるいつながり方ででも、長く長くかかわりたいと思います。人々の記憶から津波や地震が薄れたり、原発事故が隠蔽されたり、地震、津波の犠牲を美化したりする流れが起こると思います、一部は起こりつつあると思います。
 そういうなかにあっても、日本国民としてではなく、一個人として出ることを考えたいと思います。  

                         ( S.S)