本の出店

                            2012.6.7

「神様 2011」         

                   川上弘美著

 わたしは、くまに誘われて散歩に出かける。「あのこと」が起きる前と同じように。川原に出て、くまが取った魚を干し魚にしてお土産に帰って行く。
ただそれだけのことだが、何もかもが変わってしまった。除染のために掘り返された水田、防護服と防塵マスク、腰まである長靴を身につけて除染作業に従事する人々たち。
しかし、変わらないものがある。「あのこと」が起きる前は、「もしあなたが暑いのなら国道にでてレストハウスにでも入りますか」とくまがわたしを気遣ってくれた。そして、「あのこと」が起きた後では、人間よりくまのほうが大きいから被爆許容量も大きいだろう、だからはだしの足でもって飛散塵堆積値の高い土の上を歩くこともできるからと「やっぱり、土の道の方が、アスファルトの道より涼しいですよね。そっちに行きますか」とくまはわたしに依然とおなじように言葉をかけてくれる。
だが二人を見る周囲の目は大きく変わってしまった。防護服をつけた男たちが「くまは、ストロンチウムにも、それからプルトニウムにもつよいんだってな」「なにしろ、くまだから」と心ない言葉を浴びせる。それでもくまが、以前に自分にいたずらをした子ども達を見るのと同じように「邪気はないんでしょうな」と悠然としている。「あのこと」が起きる前とまったく同じように、くまは川で魚を取る。「いや、魚の餌になる川底の苔には、ことにセシウムがたまりやすいのですけれど」と言いながら、取った魚をさばいて干し魚にする。「その、食べないにしても、記念に形だけでもと思って」。南こうせつの歌ではないけれど、「泳ぐ魚たちには、何の罪があるの?」と思う。
ふたりは、「あのこと」が起きる前と同じように「抱擁」をして別れる。「親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」。わたしは承知する。くまの体表の放射線が高いのは承知の上で。「この地域に住み続けるのを選んだのだから、そんなことを気にするつもりなど、最初からない、と。
 このくまは「今のところ名はありませんし、僕しかくまがいないのなら、今後も名乗る必要がないわけですね」というので、名前はない、神様と同じように。

                      (K.D)