ある日の週報から

                           2012.10.10

 先日、14年間東京を離れていて、あまり行くことのできなかったわたしの家の墓地に行きました。
 その墓碑には、わたしの祖父母の名前と共に、戦死した二人の伯父の名前も刻まれています。ガダルカナルと沖縄で死にました。
  20代で死んだ伯父たちとはもちろん面識はありませんが、実家には出生の前日に読了した、と書き込みのあるドイツ語の経済学の本や、音楽好きの伯父たちの聴いていたたくさんのレコードがありました。
 ひとりぼっちになってしまって淋しい、といっていた母も認知症になってしまいました。これで、わたしが死ねば、「国のために戦かわされて命を落とした、この二人の名前に心を留める人は誰もいなくなるんだ」と思いながら、墓石を洗いました。

 よくこの世に生きた証を残そうと自分史を書いたり、さまざまな功績を残そうとがんばっているひとがいるけれど、100年たったらほとんどの人がこの世に生まれて、生きた事実も忘れられてしまうでしょう。
 キリスト者であるわたしたちは、短く生きた人も、長く生きた人もかけがえのない一人として、永遠に神さまに覚えられていることを信じることができます。
 戦死した伯父たちもきっと神さまの御手の中にいると信じています。  

                              (H・I.)
                                                    

 
 Helloみなさん。エイコが数週間前に書いたことの続きを書きたいと思います。この旅は,3つの楽しみに出会えるものでした。バンクーバーでは息子と過ごし、ネブラスカでは父と会い、南カリフォルニアでは娘に会いました!
 この旅で気付かされた神が創造された芸術の数々に触れてみたいと思います。カリフォルニアからネブラスカ平原へ行く汽車は、途中、ネヴァダ、ユタ、そしてコロラドを通過しました。汽車は山や渓谷、川を通りながら進み、野生のアンテロープやきつね、そして城頭ワシを見つけることができました。
 旅の終盤では、ユタで二重にかかる虹を、そしてカリフォルニアを離れる前日にも二重にかかる虹を見る機会に恵まれました。私たちには素晴らしい神がいますね!

                            (J.D.)