ある日の週報から

                    2012.11.21

 大島孝一さんが夏に亡くなり、妻と連名にて弔電をおくった。90歳を過ぎていた。葬儀は西千葉教会。
 氏の世代は多くが太平洋戦争中に従軍・戦死した時代。戦後昭和20-30年代は東北ー仙台や盛岡にて過ごされた。わだつみの会の活動や戦没農民の手紙の岩波新書本の編集にも関わられたとのこと。
以前、70年代、教団のヤスクニ委員会やNCCの集会にてたびたびお会いする機会があった。東北人のように、朴訥な口調でいつも話されていた。
 機会あり麹町に友人と招かれた事もあり、理系の教会人ということもあり色々と教えられた。
 父が存命のとき,ご夫婦にて若松の実家に訪ねて来られたことがあった。静子さんのおばあさんが藩の家老の娘であり、一族は離散したのであるが先祖の墓がわからないということで、わざわざ会津の山奥まで妻の先祖探しに来られた。幸いに父が墓地跡を探し出し見つけた。孝一さんの訪問時の写真が残っていた。遠くを見つめておられた。
 戦時中私の父は、内地の陸軍の無線通信員に従事していた。孝一さんも気象関係の仕事で従軍されたとのこと。
 80年以降、教団の偉い人達が内向きにはりっぱな話はするけれども社会問題となると発言しなくなる中で、40年間、孝一さんは自分の名前が矢面に出るのもいとわず、信じるところを話された。
 なにか重いものを背負っておられるようなところもあり存在感のある,忘れ得ない方であった。                                           (T.I.)