境界線上に立つ

                            2013.2.20

 話題の映画「レ・ミゼラブル」を観た。印象に残ったのはジャベール警視がジャンバルジャン市長のパリ市に赴任して、市庁舎の屋上の塀を歩く場面と終盤でセーヌ河にかかるの橋の欄干を歩く場面。前者では番人として市民を見張っているつもりで高見に立っていたジャベールは、自らも法と世俗の境界線上に立っていることに気がつかない。後者では、自らその境界線上に立ち続けることを降りて(自死)しまう。法の番人であるはずが、法の縛りによって立ち行かなくなってしまうのだと気づかされた。

 ある意味で板垣牧師も境界線上に立つ牧師であったと思う。教師試験を受けることを長年にわたり拒否した。そして牧師でもなく信徒でもない立場から説教と牧会を続けた。もちろん、ジャベールのように教会の番人という気負いはさらさらなく、さりとてジャンバルジャンのように人目を避けて逃走し続けるのでもない。いつでも気さくに話せる友のような存在だった。

前回の「野の花通信60号」の表現を借りれば「俺は信徒だぜ」といったところだろうか。

その板垣牧師が3月で退任する。しかし、牧師に任期はあっても友に任期はないと思っている。

                       (K・D)